日本人こそ英語を学べという外国人の主張に対して

それはそれで間違ってはいないと思います。ただ問題は英語を母国語としない国々は数で言えば、英語を母国語とする国より圧倒的に多いということです。そうした環境下、お互いに第三国語(つまり母国語ではない英語)で意思疎通しようとすれば、誤解や誤認識が多すぎてどうしようもなくなるだろうということです。ありとあらゆることに解釈のズレが発生しにっちもさっちもいかなくなり、最悪、司法等の究極の場面においてもコントロールできなくなりかねないということです。要するに、少なくとも一つの言語で100%ブレない軸が必要だということです(とはいえ、現代はAI翻訳も相当レベルアップしているのでそのうち外国語という概念自体が消滅するのかもしれません)。

日本にいる外国人からの日本人こそ英語を学べというリクエストは、大昔ならまだしも現代においては、おそらく英語を母国語とする外国人からは出てこないだろうと思います。あたりまえです。そんなの絶対無理と、英語ネイティブの人たちは理解しているからです。

”我々外国人にむりやり日本語を学ばせるのではなく、日本人こそ英語を学べ”と主張した外国人の方の英語力がいかほどのレベルかは全然承知しませんが、英語は母国語ではないのでしょう。英語を母国語としない人たちに対して”英語を学べ”と言えるのは、英語を母国語としている人が、英語を母国語としている国においてのみ主張し得ることだと思います。

他方で、日本にいる外国人全員に対して日本語を学べというつもりも全然私にはありません。ただ少なくとも、日本にいる間だけは、日本語を理解できて損することはないはずです。大きく得をすることもないでしょうが。

言葉はしょせん道具です。学ぶこと自体は無駄ではありませんが、強制することはできませんし、その意味もありません。某国の大統領が移民に対してどうして英語を話さないのかと怒る場面も目にしますがそんなの無理です。そもそも英語を何不自由なく使える人たちであるなら不法移民になどなっていないでしょうし。

それから人間にとって母国語とはたった一つだけだと思います。思考するときに母国語と外国語を同じレベルで使える人はごく少数だと思います。これまでの人生でこんなに英語ができる日本人には後にも先にも会ったことがないと思った方に一度聞いたことがあります。「ものを考えるとき何語ですか?」と。即答でした「日本語しかない」と。

以前、NYのスタバでコーヒーを注文して、「お前の名前は何だ?」とカップに名前を書くからと聞かれて「TANAKAだ」と回答しても、「ANAKA」とか、「????」と怪訝な顔をされ、仕方なく自分で書いたのですが、注文したコーヒーが出来上がったときに名前を呼ばれても自分が呼ばれたことにすら気づけなかった経験をして、「二度とスタバなんか行くものか」と思ったことがあります。そうした状況にフラストレーションを感じて「アメリカ人が日本語を学べばいい」と主張しようもんなら、「わかったけどもう二度とアメリカに来なくていいよ」と諭されて終わりですね。

管理人