代表行政書士 田中敬介(タナカケイスケ)
山口県生まれ。広島大学卒業後、銀行員として中堅中小企業から大企業まで国内外での法人営業に29年間従事しました。29年のうち11年はスペイン語の国ばかり3か国での海外駐在を経験しました。行政書士になったのは、自分自身外国人として暮らした経験から、こんどは日本社会に貢献している外国人のサポートをしたいと思ったからです。逆説的ですが、海外で暮らしたことで日本の素晴らしさも良くわかるようになりました。そうした母国を愛する気持ちからも、行政書士として世の中のお役に立ちたいと考えています。
1999年7月にスペインから帰国して住んだ場所が東京都中野区であったことが縁で、現在も東京都中野区に住んでいます。ランドマークは上の写真の中心にある三角形の建物”中野サンプラザ”です。再開発でなくなる予定です。かつて一世風靡した某歌手名の由来ですね。その方は中野サンプラザのさよならコンサートで熱唱されていました。ちなみにこの写真はNikon FE2という35年前から使っているアナログカメラで撮影したものです。
業務:企業様のBCP策定、補助金申請、事業計画策定、資金調達等から、外国人の雇用、オーナー様の相続・事業承継、各種許認可申請と許認可申請における行政不服申立て手続まで、さまざまな経営課題解決をお手伝いします(資格内資格:申請取次行政書士,特定行政書士)
その他の保有資格:日商簿記検定2級, TOEICベストスコア955点, 証券外務員一種, 不当要求防止責任者,上級救命技能認定(自動体外式除細動器業務従事者)







これまでの人生における海外との接点
私は1969年山口県山口市で生まれました。スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが16世紀に来訪した、西日本の小さな県庁所在地です。当時の敬老の日に生まれたので敬介と命名されました。フランシスコ・ザビエルの山口来訪400年を記念して創設されたサビエル記念聖堂に隣接するカトリック系幼稚園に通ったことが最初の海外との接点です。当時の園長先生はスペインの方でした。今から半世紀以上前のことです。
大学入学前に偶然出会った一冊の本「英語の次に何をやりますか 多国語学習のすすめ 加藤恭子著/日本英語教育協会」を読んで、動詞の複雑な活用のおかげで主語を省略しても意味が通じる言語としてのスペイン語の面白さを知り、第二外国語でスペイン語を学んだことがその後の人生を大きく変えました。
銀行に就職してからは、スペイン語の世界にどっぷりと浸かりました。1996年4月からスペイン(バジャドリッド市、バルセロナ市、マドリッド市)の3か所に合計3年4か月暮らしました。欧州通貨統合のDay-1、すなわち1999年1月1日のEURO発足に携わったことがスペイン時代の仕事上の一番の思い出です。FCバルセロナのスタジアムまで徒歩圏内に住んでいたときはサッカーの試合をよく観戦しました。1999年7月末に帰国するまで、イベリア半島はもとより、欧州各国を旅行しました。
2005年3月メキシコに赴任しました。メキシコは人口1億人を超える、スペイン語圏の最大の国です。自動車産業の集積地として20年前既に注目を浴びていました。首都メキシコ市は標高2千メートル以上の高地にあるため常春ですが、酸素が低地の75%しかないというハンディキャップがあります。メキシコ市に住みながら、メキシコ国内を出張で訪問しました。スペインを知るものとして、スペイン人がメキシコに遺した光と陰を両方知りました。当時のメキシコは日本企業の大規模な進出が始まる前夜でしたが、その胎動は十分感じられました。新規進出を検討する日本企業のメキシコ視察をお手伝いすることも多々ありました。2008年7月に帰国しました。
2016年3月ペルーに赴任しました。日本ではまだあまり知られていませんが、ペルーは美食の国として近年脚光を浴びています。欧米人のガストロノミーツーリズムが盛んです。生活してみて食事面での不自由は全くありませんでした。海の幸ではウニ、ホタテ、ヒラメ、カツオ、マグロといった高級食材は生食できました。ウニは日本より大きいものが普通に食べられました。最近はセビーチェという生魚のレモン絞めが日本でも知られるようになりましたが、ペルーが発祥の地です。ジャガイモに関しては諸説あるようですが、世界に4千種類あるうち3千種類以上がペルー原産とか。他にもトマト、トウモロコシ、カカオ等、現代生活に欠かせない多くの野菜・くだものがペルーを中心にするアンデス地方の原産です。まさに食材の宝庫です。

仕事としてペルー現地の政治経済情報を日本語に翻訳して毎日発信しました。19世紀後半に多くの日本人が移住したペルーには今も10万人規模の日系人社会があります。背格好やしぐさは完全に日本人のおじいちゃん、おばあちゃんがスペイン語で会話する姿は不思議でした。私のふるさと山口県からも多くの方が移住していて、日系人の山口県人会があります。2016年のAPECでペルーに来訪された安倍首相(当時)との記念撮影の機会があったり、2019年に日本人移住120年を記念して来訪された眞子内親王(当時)との接見機会をいただいたりする幸運にも恵まれました。コロナ禍の最中、2020年6月に帰国しました。
副業(ご参考)
上述の通り、合計11年間、スペイン語の国に暮らしました。スペインで最初に暮らした場所は、バジャドリッド市という16世紀の一時期スペインの首都だった町です。近くにはスペインの最高級ワイナリーが集積するリベラデルドゥエロ地区があります。バジャドリッド市は、古都サラマンカと並び正統派スペイン語を話す町なので、そこで半年間スペイン語の語学研修を受けました。バルセロナ市、マドリッド市では銀行業務に従事しました。その後、日本にいながらアルゼンチンの公的機関と接する仕事に従事し、メキシコ(かつてのヌエバエスパーニャ副王領)、ペルー(かつてのペルー副王領)に赴任しました。スペインに始まり、スペインにとって2つの重要な海外領土であったメキシコ、ペルーへと続いた地球半周の旅で、私はいろいろなスペイン語に触れることができました。仕事や旅行でも、キューバ、コスタリカ、コロンビア、エクアドル、パナマ、アルゼンチン、チリに行きました。ブラジルでは、私のスペイン語をブラジル人が問題なく理解してくれました。一口にスペイン語といっても、文法や単語、表現がそれぞれの国の文化的・歴史的バックグランドによって異なり、非常に興味深いものがあります。仕事上、スペイン語の現地情報を日本語に翻訳して発信することが多かったので、その経験を活かして、副業としてビジネススペイン語の日本語翻訳もお引き受けしています。(適格請求書発行事業者 事務所概要)
趣味:プロ野球観戦(広島東洋カープ)、フィルムカメラ(大学時代から愛機NIKONを35年以上使い続けています)、冷蔵庫の残り物で作る小腹メシ、(主としてスペイン)ワインを飲むこと、最高裁傍聴など。
小さな自慢:これまで世界45か国を往訪。一番印象に残っている国はキューバ。日本では沖縄を除く46都道府県を踏破。日本でとくに好きな場所は知床半島(自然に恐怖を感じますが)。