私が社会人になった1993年はJリーグがスタートし、松井秀喜さんがプロデビューした年でした。Jリーグの盛り上がりはすさまじかった記憶があります。しかし当時まだワールドカップ出場は悲願でした。同年10月のドーハの悲劇に象徴されるように。
初めて日本がワールドカップに出場した1998年のフランス大会、私はスペインに駐在していたので、時差なしで観戦することができました。VHSビデオに録画し、今も実家にテープが残っています。結果は予選敗退でしたが、それでも日本人として誇りに思いました。とりわけ、欧州人に日本はサッカーをやる国として当時全然認知されていませんでしたから。
その後、中田英寿さんがイタリアに移籍し、欧州での日本人選手の活躍が始まりました。それから四半世紀あまり、サッカー日本代表はほぼ全員欧州のクラブチーム所属選手となりました。今の日本代表のうち、初出場の1998年にはまだ生まれていなかった人も半分くらいはいるようです。2026年のワールドカップ出場も早々に決まり、一安心です。
スペイン駐在時代はFCバルセロナのスタジアムの徒歩圏に住んでいたので、観戦機会はたくさんありました。地元銀行のATMにイベントチケットの自動販売機がセットされていて、当日券が当時の価格で数千円で入手できました。しかし、サッカー観戦での一番の不安材料は暴動リスクでした。当時も、発煙筒を使った応援?をするファンや、いわゆるフーリガンと呼ばれる連中がスペインにもいました。人種差別的なヤジを飛ばす心無いファンもいました(スペインではいまだに人種差別問題が起こっていますが)。
試合結果次第では、ファンの行動が危険になるので、観戦するときは、目立たない格好で控え目にホームチームを応援することにしていました。状況が不安定になってくると早めにスタジアムを後にして、試合後の混雑を避ける行動もとっていました。しかしある時、別の町でアウェイチームを応援してしまったところ(うっかりゴールシーンで立ち上がってしまった)、「出ていけ!この外人野郎」と後ろから怒鳴られました。もちろん、出て行ったりすることはなく、怒っている人にはできるだけ冷静に対応することを心がけていたので、意に介さないふり(スペイン語を理解できていないふり)をしました。
来年26年、おカネと時間が両方ある方は、北米でワールドカップとMLBを両方観戦できるかもしれないですね。羨ましい限りです。それにしても久保建英選手のスペイン語は素晴らしい、少なくともメッシ選手のアルゼンチン特有のスペイン語より、分かり易い。