2010年3月、私は1週間の日程で中国を視察しました。経済における友好親善使節団に入ることができたからです。当時の中国は、まだ名目GDPで世界第2位ではなかったと記憶しています。
初めて訪れた北京市は、その広大さに圧倒されました。四国とほぼ同面積でした。現地の最高学府の学生との交流機会がありました。日本でいう大学入学共通テストで満点を取るような人たちばかりでしたが、就職や将来に不安を抱えていました。人口が多ければ、優秀な人も当然多く、いくら頑張っても安堵できない、という趣旨の不安でした。その後、内陸の中規模都市を訪問し、最後は上海でした。友好親善視察なので、中国国内では私たち日本人に一番見せたいものを見せられるイベントでしたが、それを割り引いても、中国の凄さ、国家としての勢いを感じさせられる視察でした。
中国訪問の翌2011年、東日本大震災の直前に、台湾へ個人旅行しました。台湾は中国と異なり、良くも悪くも外国にいる気がほとんどしませんでした。旅行程度であれば問題なく日本語で用を足せ、日本円もそのまま使えました。さっと見ただけですが、中国と台湾は違うと感じました。
台湾旅行から5年後、ペルーに赴任した2016年、ペルーでAPECが開催されました。中国は、習近平国家主席以下で来訪し、積極的なトップ外交を繰り広げました。ペルーは銅など鉱物資源の産出国で、中国にとって戦略的に重要だからです。19世紀半ばに当時の清からペルーに移住した人たちの末裔が現在も多く暮らし、ペルーの全人口の10%(300万人)が中国との二重国籍者と言われるほど近い関係にあります。中国にとって、太平洋を隔てただけの中南米は遠い国ではありません。中南米で目の当たりにした中国の姿は、日本から見る姿とは大きく異なりました。14億人以上の国民を食べさせるための骨太な国家の計があるようにも感じました。
現在、中国による台湾侵攻の懸念が取り沙汰されていますが、第一次世界大戦も第二次世界大戦も、勃発する直前まで、多くの人が戦争なんて起こらないと思っていたという話もあります。現実になってほしくはありませんが、有事の際への心の準備は必要だと思い始めています。
もしも、中国による台湾侵攻が起こったら、インバウンド観光客は激減するでしょう。諸外国は、不要不急の東アジアへの渡航自粛を自国民に求めるか、渡航自体を禁じるはずです。もっとも、普通のリスク感覚を持つ人であれば、その状況下で日本へ遊興に来る人はごく少数になるでしょう。先島諸島の住民を九州などの近県に全島避難させる案が浮上していますが、相当に難易度の高いオペレーションになるであろうことは素人にも容易に想像できます。そもそも避難訓練は事実上不可能であり、ぶっつけ本番になります。
そして近い将来100万人に達するとみられている在留中国人の多くは、本国へ帰国することになるのではないかと想像します。中国政府が在外自国民の安全確保という名目で帰国を要請するのではなかろうかと思われます。中国政府からの要請が仮になくても、自主的な判断で帰国する人は多いでしょうから、日本の労働力不足に拍車がかかるかもしれません。
ちょっと気がかりなのは、「中国では企業や個人に中国政府の情報収集活動に協力することを国家情報法で義務付けている(2025年4月4日読売新聞)」ことです。日本に在留する中国人の人たちも、そうした協力を中国政府から求められる可能性があるとしたら、非常にデリケートな問題になることを視野にいれなくておかなくてはなりません。
以上が全くの杞憂に終わることを望んで止みません。BCP(事業継続計画)とは、実行する必要のない状況がベストであるという点が、策定に際しての最大のインセンティブであると思っています。それだから作る意義を感じないのだ、という向きも多いようですが、敢えて反論すると、通常、計画と名の付くものは、”PDCAを常に回し、必要なら計画を修正し、対象期間が終了したら、総括すること”が求められますが、BCP(事業継続計画)は、Doがない状態がベストシナリオと言える唯一の”計画”です。つまり、全くの頭の体操として、できることをできるところから少しづつ取り組めばよい、そしてたとえそうであっても、何もしていないよりははるかに優れていると、割り切って策定できる性質の”計画”です。