14年

26歳7か月、私が初めての海外駐在をスペインでスタートした年齢です。今から29年前です。スマホはもちろん、インターネットやEmailすらほとんどなかった時代です。日本の情報は首都マドリッドのキヨスクではかろうじて売っていた日本の新聞を買うことくらいでしか入手できませんでした。最初の半年間暮らしたスペインの田舎町に日本食レストランはありませんでした。でもそうした環境の変化を若さがカバーしてくれました。

佐々木朗希選手の渡米に当たってはいろいろなコメント(もちろんそのほとんどが彼を愛する気持ちから発せられたもの)が寄せられたようですが、私は心から応援しています。東日本大震災で被災したご経験から、自分の人生にはいつ何が起こるか分からないという緊張感が彼の心理において支配的なのは仕方のないことだと思います。だから、挑戦するなら若い方がいい、早い方がいいと思います。

2011年3月11日を経験された方は生涯忘れることはないですね。その日私は3名のメキシコ人のお客様を都内のオフィスでアテンドしていました。3名とも1985年のメキシコ大地震をご経験されていたためか、地震が発生してもとても落ち着いて対処いただきました。15階にあったオフィスの横揺れは激しく、書類の入ったサイドワゴンが左右に移動するほどでした。ねんのため2時間くらいオフィスに留まっていただいた後、ヘルメットをお貸しして、地震でところどころひび割れてしまった非常階段を一緒に降りて出口へお連れしました。お別れの際、ジョークを飛ばす余裕さえおありでした(BCP策定をご検討中の中小企業のみなさまへ)。後日確認したところ、幸い、航空ダイヤが乱れる前に予定を切り上げてごメキシコへ帰国されたようで、ご賢明だったと思います。おそらくメキシコ大地震の経験者ならではの直観が働いたのではないかと思います。

発災直後の安否確認がいかに困難なことかも身に染みました。家族と何とか連絡がついたときの安堵も言葉になりませんでした(現在は、帰宅できず連絡もつかなくなった場合の集合場所を決めています)。家族の無事を確認してから、私は革靴で3時間歩いて帰宅しました(その後、オフィスにはスニーカーを置くことに)。途中、水を求めて入ったコンビニの陳列棚は空っぽで、歩道には帰宅を急ぐ人流が凄まじく、道路は大渋滞でした。とても現実の世界で起こったこととは思えませんでした。そもそもスマホの地図がもしなかったら、普段電車通勤していたオフィスから徒歩では帰宅できなかったかもしれません。何人かはオフィスで一夜を過ごしたようです。当時勤めていた会社のマネージメントは、誰も経験したことのない事象で、本当に困難な判断を素早く下した方々だったと今更ながら尊敬します。当時はまだBCPという概念すらなかったか、少なくとも一般的ではなかったと思います。

震災直後津波で行方不明になったお子さんを探し続ける親御さんのお姿をテレビで観て、涙が止まりませんでした。それから早15年目となり、震災の恐怖を少しずつ忘れること自体は、生きてゆく上で必ずしも悪いことではないと思いますが、私たちが得た災害教訓はずっと伝承していかなくてはならないと思います。

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